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誓真さん没後200年 遺徳を偲ぶ会 遺徳を偲ぶ会 記念植裁式
誓真大徳頌徳碑
   
 
事業家として再び光
 宮島(広島県佐伯郡宮島町)で井戸を掘り、しゃくし(杓子)製造を広めたと伝えられる江戸時代後期の僧りょ誓真が、ことしで没後200年を迎える。「沈滞する宮島は今こそ誓真さんの知恵とエネルギーに学ぼう」と、住民たちが9月3日午前10時から同町の浄土宗光明院で「誓真さんの遺徳をしのぶ会」を開く。
 光明院近くの「誓真大徳頌(しょう)徳碑」碑文によると、誓真は伊予国務司城村上家の出身で、広島城下で米を商っていたが、世相の荒廃を痛感して宮島の光明院で修行し、神泉寺(廃寺)に居住。自身の「匠心(たくみごころ)」に気づいて、島民にしゃくし製造などのなりわいを教え、托鉢(たくはつ)して資金を得て飲用の井戸を掘ったという。
 没年は1800(寛政12)年とされ、碑文は幕末・明治の仙台藩の漢学者岡千仭(鹿門)が1898(明治31)年に起草。商工業者や木工職人が1937(昭和12)年に建立した。しかし、誓真の足跡をたどる文献資料は今も未発掘で、伝承や石造物などに残るにとどまっている。
 誓真が掘った「誓真釣井(つるい)」は十カ所あったと言われ、うち四カ所が現存。18世紀末の天明年間と寛政年間の年月日が井げたなどに刻まれ、現在も住民が日常生活に利用し、「誓真地蔵」や水神として信仰の対象にしている。
 今回の「しのぶ会」は、ことしが没後二百年になることを知ったしゃくし製造・卸売業宮郷安輝さん(67)ら住民が計画。実行委員長の宮郷さんは「誓真さんはかつて学校で歌に歌われ、島内の木工業者の崇敬の対象になり、釣井は夏にスイカなどを冷やす格好の冷蔵庫になっていたが、いつの間にか忘れられている」と感じ、島内の各界に参加を呼びかけている。
 当日は新暦による誓真の命日(旧暦では八月六日)で、光明院を中心に島内仏教寺院合同の法要を営み、誓真釣井からの水でたてたお茶を奉献。しゃくし踊りやしゃくし供養も行う。
 また、誓真を評価する記念事業も計画。11月に町歴史民俗資料館で企画展「先人の技をたずねて」を開くほか、記念公演や史跡探訪会も検討している。
 元町史編さん室専門員の町職員岡崎環さん(52)によると、江戸後期、全国で社寺参けいの旅行ブームが起き、誓真の生きた時代には宮島も人気を集めるようになる。誓真は島の豊富な木材を生かし、弁財天信仰と結びつけた縁起物としてしゃもじを発想。遊郭・富くじの島に物づくりのなりわいを定着させた事業家と考えることができる。
 岡崎さんは「当時の宮島のエネルギーを感じさせる人物。先人が顕彰した明治のころも近代宮島が経済的に伸びた時代だった」とみる。
 また、真言宗御室派大本山大聖院座主の吉田正裕さん(39)も「町財政が厳しく、観光客も伸び悩んでいる今の宮島だが、『宮島の恩人』誓真さんを思い起こして何か気づくことができれば」と話している。
 
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