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誓真大徳頌徳碑
千畳閣にある誓真杓子の由来の書かれた
巨大な杓子の案内板
誓真さん自作の杓子
(歴史民族資料館、宮忠:寄託)
 宮島の物産としてよく知られているものに杓子(宮島では杓文字のことを杓子と呼ぶ)があります。これは、寛政のころ(1789〜1800年)、宮島の光明院の修行僧・誓真さんが考案し、島民たちに製作方法を教えた飯杓子が、いわゆる宮島杓子として広まったものと伝えられています。
 誓真さんは伊予の武士の家に生まれましたが、さる事情があって武士を捨て、広島城下の大工町に移り住み、米穀商を営んでいました。ある冬の寒い夜、そこへ一人の婦人が幼児の衣服を持って米に換えてほしいと頼みに来ました。衣服にはまだ温かさが残っているので不思議に思い理由を訊ねると、「実は明朝食すべき何物もない。他に方法もなかったから、幼児が眠るのを待って、その衣服を脱がせて来た」と婦人。それを聞いて婦人に衣服を返し、米を与えましたが、つくづく世の無常を感じ、ひそかに家を出て厳島に渡り、光明院の了単上人のもとで得度しました。時に25歳。こうして宮島の修行僧・誓真さんが誕生しました。
紙芝居「誓真さま」より

←誓真さん自作の木魚
  (歴史民俗資料館)

誓真さんは元来器用な人であったらしく、修行の合間に作った木魚はとても精巧にできていて、音の響きも良く、人々の知るところとなりました。そんな誓真さんは、常日頃から島内にこれといった産業がないのを気にかけていましたが、宮島の弁財天信仰と結びつけた縁起物として弁財天が持つ琵琶の形に似た飯杓子(杓文字)を思いつき、自ら御山の松でこれを作り、島民に教えました。この杓子は材料・材質の選択が非常に良かったため、ご飯に臭気を移さず、また飯粒が付着することもなく、さらにはその形状の優雅さや細工の巧妙さで来島者の好評を博するところとなり、宮島の土産物として定着していきました。
 こうして育まれてきた杓子は、その名をとって「誓真杓子」とも呼ばれています。誓真さんの人柄や功績と共に200年以上の時を経て今日まで大切に語り継がれ、受け継がれてきたのが、宮島の杓子なのです。

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