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誓真さん没後200年 遺徳を偲ぶ会 遺徳を偲ぶ会 記念植裁式
誓真大徳頌徳碑
   
 
 暑さを忘れた今年の夏。
何よりも、誓真さんに導かれて日々を過ごした夏であった。
 9月3日、旧暦8月6日にあたる日、曇空から時折小雨が降るなか、宮島の町を見下ろす誓真頌徳碑の前で「誓真さん没後200年 遺徳を偲ぶ会」が開かれた。集まられた方、約300人。予想を遥かに超える有縁の人たちで、碑の前は溢れた。
 誓真さんの位牌と木像の前での黙祷に始まり、お茶を供える。200年前誓真さんの掘られた井戸にちなみ、幸町の誓真釣井の水を沸かしたお茶。あなたの掘られた井戸は、今でも水が湧き出していますよ、と報告をする。
 次は、没後200年報恩法要。町内の全寺院の住職による読経と焼香。声明のなか、無言のうちに全参加者が香を焚かれる。
 そして、杓子供養。碑の脇にしつらえられた祭壇に、木杓子が積まれ、浄土宗の儀礼に沿って点火する。勢いよく燃えはじめる杓子。合掌しながら、参列者の持ち寄られた杓子もそこに投げ込まれる。報道関係者のカメラが一斉に火の周りに集まる。杓子を始めとする木工品の宮島での制作と販売を教えてくれたのは誓真さんである。合成樹脂の杓子が多くなったなかで、各家庭でその使命を果たした木杓子を持ち寄ってもらい、みんなで供養する。
 宮郷実行委員長による式辞は、縷々誓真さんの業績を称え、200年を期にここに集まった経緯、「感謝する心」と「継続する志」を学んだと説かれた。ともすれば忘れかけつつある宮島の大恩人・誓真さんと反省の意を述べ、100年前の頌徳碑の建立に比するなら、ささやかな会になってしまったが、300年はきっとわれわれの次の世代によって賑やかな会になることを信じると結ばれた。
 さらに、厳島神社野坂宮司による祝辞。物事を伝え続けることに難しさをいわれ、伝承の大切さを述べられる。世界遺産「厳島神社」の登録は、時を越えて伝えることの人類に対する問いかけである。
 又、一人の来賓は、「もし誓真さんがいなかったら、今の宮島はなかったのではないか。」ということば。厳島神社を中心にして歴史をたどってきた島で、いかにして人々の生活を成り立たせていくかを見つけ出した人・誓真さんと評される。観光立町を町是として生きてきた町民にとっては、衝撃的な言葉と受け取られた。
 一段落した後、緋毛氈の上で、「杓子踊り」を披露。杓子を両手に持って踊られるこの踊りは、毎年盆になると、宮島芸能保存会の人たちによって、「宮島踊り」とともに踊られている。
 そして「誓真さんの歌」。
 7月始めNHKテレビで宮島の映像が流された。それを見られた豊中市在住の今村睦子さんが、宮島で過ごした子どもの頃を懐かしんで、「誓真さんの歌」の歌詞を自ら録音したテープと共に幼なじみに送ってこられた。その手紙には、三番まであったはずだが、二番と三番は覚えていないとある。
 「誓真さんの歌」を探せ。
 送ってこられたテープは、コーラス教室と童謡・唱歌教室を指導しておられる先生に譜面をおこしを頼む。そして、数日後楽譜ができあがり、宮島で生まれた歌として、さっそく教室生の方々が歌い始められる。
 さてつぎは、歌詞探し。誰彼となく、誓真さんの歌を覚えていませんか?と聞いてみる。
 「そういえば、子どもの頃石碑の前で祭りがあった。その時に歌っていた。」と、じょじょに思い出話が聞かれるようになる。何人かに話してみると、こうした記憶の持ち主は年齢層が限られるようだ。40代後半から50代後半の人たち、かつ男性よりは女性が多い。戦後すぐ、昭和20年代後半から10年間くらいに、歌われたようである。
 こうして、その時期に宮島小学校で過ごした人たちが歌っていたことが判る。先生をしておられた方などにも聞いてみよう。そして、とうとう三番までの歌詞と楽譜が出て来る。テープからおこした譜面とほとんど違わないことにびっくりする。今村さんには、よほどこの歌が印象深く、正確に覚えておられたに違いない。
 コーラス教室と童謡・唱歌教室の皆さんによる、数十年ぶりに頌徳碑の前での「誓真さんの歌」の再現。子どもたちの姿は見られないものの、歌う人たちの顔には、それぞれの人生を誓真さんとともに歩まれた跡がうかがわれる。
 そして、60年前この石碑を実際に建てた石工さんの子息は、見聞きした石材の採集地や運搬方法を述べられる。最後に、本来なら長男がここで話しているはずであるが、太平洋戦争で戦死し、私が述べることになったと結ばれる。
 最後に、誓真さんの遺徳を偲ぶ会なら是非参加したいと言って来られた今村さんの思い出話。誓真釣井のそばで数年間を過ごされ、その時知った誓真さんの優しさが、その後の私の人生を変えたと言われる。また、阪神淡路大震災で被災されたときには、水の大切さを改めて痛感し、誓真さんを思い起こされたと述懐される。
 集まった人たちは、それぞれに誓真さんを思い出され、改めてその遺徳を後の世に伝えていこうとの思いを深められたようである。
 その後、公民館まつりでは、誓真さんにちなんで、陶芸教室は「誓真大徳頌徳」と書いたしゃもじ、書道教室は誓真さんの歌詞や木杓子への墨書が並んだ。そして、パッチワーク教室は大きな杓子をモチーフにした作品を創られて展示された。茶道教室の皆さんは、誓真釣井の水で抹茶を点てようと楽しみにされていたが、保健所の水質検査では飲料には適さないとのことで実現しなかった。何年も井戸浚えをしていない井戸には、大腸菌を始めとする細菌類がいるらしい。水道の整備により、釣井は忘れられたのであろうか?
 宮島の2000年は、誓真さんへの熱き思いと共に過ぎていくこととなった。
 
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