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誓真さん没後200年 遺徳を偲ぶ会 遺徳を偲ぶ会 記念植裁式
誓真大徳頌徳碑
   
 
 宮島の市街地を見おろす光明院前の高台(通称隠居場)に、誓真大徳頌徳碑がある。昭和12年建立されてから63年も経過しており、当時の記憶、想い出をたどりながら、作業の状況を記し、何らかの役に立てていただければ幸いです。
 昭和12年初頭、誓真大徳頌徳碑建立にあたり、その発起人及び誓工会より、請負依頼を受けた父・大年金之助(当時44歳)は、早速宮島の自然石を使用することに決め、須屋浦先のあての木浦の海岸で石材を見つけ出した。船が小さいので積み込むことができないため、潮の干満を利用して船腹に石をくくりつけ、そのまま静かに波止の先(警察署裏)の浜まで帰り、そこで石を海中に落とし干満を利用して陸揚げ作業。そして現場まで約300m幸神社前を経由して塔の岡を通り、光明院前の現場に到着する。
 その運搬方法として、当時機械がないので全て手作業によって行われた。あゆみ板と木製のコロを使用して動かし、引っ張る力は手製のカグラサンを使い、何人もの人が心棒を回し、その威力の大きさに驚いた。なお、当時は自動車もなく、道路の使用に迷惑をかけずに作業が進み、道行く人もただ珍しそうに見物していた。少しずつの移動・運搬作業なので、ずいぶんと時間がかかったように記憶している。そして、現場では、職人さんたちによって基礎工事、土台造り、文字彫り作業が始まる。大きな文字から小さい文字まで、全部小さなノミを使っての手作業なので、相当な日数がかかったようだ。
 題字は、知恩院門跡の筆。裏面の碑文及び関係者名は、当時の厳島尋常小学校内田義登先生の筆によるもので、先生は、私の1・2年の担任であっただけに懐かしく思い出される。
 据え付けは、2本の柱を二股に組み、カグラサンを使って吊り上げるもので、危険な作業とされていたが、無事に建立が完了した。
 機械器具の乏しい時代、自然と道具を利用しての作業で、体を使い、頭を使い、何の事故もなくこうして、誓真大徳頌徳碑は建立されたが、その間の発起人、誓工会の人々の暖かいご協力とご努力に対して感謝するとともに、誓真大徳没後200年の遺徳を偲ぶ会に接し、あらためて、その偉大さに今更ながら感激するのみである。
 もう少し早ければ、当時の建立作業にあたった人たちも生存しており、詳しい状況が聞かれ、何らかの資料も残されたのではないだろうかと残念に思われる。昭和12年、12歳の子供の63年後の記憶で、多少定かでない部分、又若干の記憶違いもあろうかと思いますが、思い出すままに記しました。
 
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