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●紙本著色隅屋鉄山絵巻(加計町)
県重要文化財。「たたら製鉄」が明治期に様式の近代製鉄法にかわるまで、加計は西中国山地における鉄山業の一代中心地でした。その大鉄師隅屋(加計家)には、当時の鉄山操業の様子を描いた絵巻物上・下2巻が所蔵されています。
上巻にはたたら用の「大炭」の製造過程や、「ずく押(銑鉄)」、「けら押(鋼鉄)」の両たたらと、その作業状況など、下巻には「勘場」の砂鉄などの物資出入りの様子や、鍛冶用の「小炭」の製造と「鍛冶場」の作業状況など。また諸道具や労働歌の「天秤踏歌」も記されており、鉄山経営を知るうえで貴重な資料です。昭和36年、県重要文化財に指定。絵師は芸北(大暮村)出身の佐々木古仙斉と推定され、幕末安政ごろの作品と考えられています。
●掘八幡神社石灯籠(加計町)
町重要文化財 。江戸時代末期の安政4年(1857)に建造された自然石の巨大な石灯籠で、笠石は8畳敷もあり、日本一と称されています。建造には推定3年以上の歳月と、延べ6万人の労力を要した難工事であったといわれています。
●湯立神楽(加計町)
県無形民族文化財。江戸時代中期以前(正徳年間)から長尾神社に伝承されている湯立神楽は祭祀の前に湯立の神事を行う。続いて湯立の舞を奉納するという、他にあまり類のないものです。湯立舞は、素面の舞人3人が弊と鈴又は剣と鈴を手にして、釜の湯が熱して沸き立ち、その中に立てた3本の小弊が激しく動く様を、序・破・急の舞で表現するもの、その技術はすごぶる巧妙です。また、素面で舞う湯立は、全国的に珍しいものです。
●津浪太鼓踊り(加計町)
県無形民族文化財。
●掘八幡の流鏑馬(加計町)

県無形民族文化財。江戸時代以前から伝承され、中国地方でも珍しい神事。馬場140メートルの中に三個所の的を立て、馬上から次々に鏑矢で騎射します。境内の資料館には、古い馬具、衣装、弓など展示。

●加計げんこつ踊り(加計町)
町無形民族文化財。

●殿賀田楽(加計町)

町無形民族文化財。
●安野田楽(加計町)

町無形民族文化財。

●神楽−四神−(加計町)
町無形民族文化財。
 

●川舟関係用具(加計町)

町無形民族文化財。
 
●吉水園のモリアオガエル(加計町)
県天然記念物 。名勝吉水園に生息するカエルで、森林の樹上に棲んでいるのでこの名でよばれている。モリアオガエルは木の枝に泡状の分泌物をつけ、その中に産卵する。孵化したオタマジャクシはその分泌物の中で発育し、やがて水中に落下するが、吉水園の池のまわりでは、5月下旬から7月上旬にかけて、この珍しい生態がまのあたりに観察できる。
●宇佐大元神社のキンモクセイ(加計町)
町天然記念物。
●津浪河内神社のスギの群生(加計町)
町天然記念物。
●辻の河原のサイジョウガキ(加計町)
町天然記念物。
●早木のスイリュウヒバ(加計町)
町天然記念物。
●下筒賀の社倉(加計町)
県史跡
●遅越第一号古墳(加計町)
町史跡

●吉水園(加計町)
県名勝
●鈴木三重吉文学碑(吉水園前)(加計町)
文学碑 。鈴木三重吉は、明治39年(1906)の初秋に1週間吉水亭に滞在し、名作「山彦」の題材を構想しました。
城下みにゆこ十三里 炭積んで行こ十三里 と小唄に謡うといふ
十三里を城下の泊まりからとぼとぼ三里は雨にぬれて来た。
三重吉
●山口誓子碑(吉水園前)(加計町)
藻の畳み もりあおがえる 落ちてよし
●武田元繁戦死の地(千代田町)
所在地: 千代田町有田 政国 有田城の麓 光明寺の下
由来: 西国の桶狭間の戦いと言われた永生14年(1517年)安芸の国銀山城主武田元繁と、毛利元就は弱冠20歳の初陣戦い、又打川を越えた所で、毛利軍の伏兵弓隊の一斉攻撃を受け一矢が元繁を貫き落馬したところを毛利軍に首級を上げられた。総大将を失った武田軍は総崩れとなり毛利軍の勝利となった。
●万徳院跡(国指定史跡)(千代田町)
所在地: 千代田町舞綱 吉川元春居館跡から日山城への登山道を約1.5キロ
由来: およそ400年前、この地にに勢力を張った吉川元長(元春の長子)が自らの罪を払い、神仏の加護を得るために建立した寺院で、この地には30年足らずであったが、その後岩国に移転。中世城館遺跡保存整備事業として平成3年から発掘調査が進み法華経の版木や竹製の物さし等が出土、自然を生かした庭や谷水を配した築山、さらに、列石による区画や礎石建物の跡が現在も残っている。当時の風呂(蒸し風呂)を再現。歴史公園として完成予定。境内地西側に吉川広家夫人で豊臣秀吉の養女であった容光院の墓がある。
●古保利薬師収蔵庫(千代田町)
所在地: 千代田町古保利226
入館料: 大人500円・中高生200円・小学生無料
大人団体400円・中高生団体100円
この入場料で千代田町歴史民族資料館にも入館できます。
開館時間: 午前10時〜午後4時30分(ただし入館は4時)
休館日: 毎週月曜日 12月28日〜1月4日
管理責任主: 千代田町教育委員会
施設の特徴: 国の重要文化財「薬師如来座像」他11躯 町指定文化財「金剛力士像」2躯 「十二神将」12躯
●有田城跡(千代田町)
所在地: 千代田町有田 広浜線 有田下車徒歩30分 光明寺の裏山
由来: 室町時代の築城と言われる。古くから有田城は陰陽の中継地として、千代田のほぼ中央に位置し、広い豊かな盆とを一望できる小高い山の茗荷丸にある。
●余谷城跡(県指定史跡)(千代田町)
所在地:千代田町奥見谷 標高605m
由来:南北朝の動乱期に毛利親衡が城主となり、天文年間以降毛利氏の家臣、粟屋元忠以後三大50年間の居城となった。山麓には、笠懸、大堀、やぐらまち、犬追原等の地名が残っている
●日山城跡(国指定史跡)(千代田町)
所在地:千代田町中山 広浜線バス中山バス停下車徒歩50分
由来:火野山標高705m、麓から300mに築かれた中世末期の典型的な大規模な山城跡で、吉川氏の本拠として40年間栄えた。1550年元春が入城、三男広家が1591年に居城を出雲の国富田城に移すまで使用。山頂からは石見の国境 三坂峠から大朝町、新庄盆地、南は、志路原、海応寺、蔵迫、八重盆地が見渡せる。陰陽を結ぶ交通の要所、盆地一帯を押さえる要衝に地を選んだ山城。
●川東はやし田用具収蔵庫(千代田町)
所在地:千代田町川東2859−4
入館料:大人500円・団体400円・中高生200円・団体100円・小学生無料
開館時間:午前10時〜午後4時30分(ただし、入館は4時)
休館日:毎週月曜日・12月28日〜1月4日
施設の特徴:この地方に古くから伝わる「はやし田」の楽器、服装品農具など313点これらは、国の重要有形文化財に指定されている。
●壬生城跡(千代田町)
所在地:壬生本町
由来:壬生の市街地の北側にそびえる標高358mに本丸跡がある。築城時期は不明。天文5年(1536)城主山県信春は毛利元就の攻撃を受けて落城、自害する。信春の墓は城の北側山麓に有る。毎年墓前祭が行われている。
●西本屋武一の墓(千代田町)
所在地:千代田町有田十日市 大福寺境内
由来:明治4年(1871年)8月廃藩置県により藩主浅野長訓公東上の際、県下百姓の代表として嘆願書を起草、提出して、一揆の首謀者とみなされ、その罪を問われ処刑された。享年48歳(武一騒動)武一は、文政7年(1824年)十日市に生まれ本名森脇武一郎。幼少の頃から学問を好み、心学を学び、剣術に優れ寺子屋の師匠でもあった。
●常仙寺跡(国指定史跡) 吉川興経墓地、犬塚(千代田町)
所在地:千代田町中山 広浜線バス停下車日山城に向かって約300m登り鳥居をくぐり石段41段を登る。
由来:第10代小倉城主吉川駿河守興経は、毛利元就の次男元春が第11代の相続によって深川(現高陽町)に幽閉された。1550年毛利の手によって殺害。この時愛犬が主人の首をくわえて新庄小倉城へ帰ろうとし、中山峠で犬は疲れはて息絶えた。斜面に置かれた興経の首は下に転げ落ち、その位置に墳墓は保存された。愛犬の墓は、興経の墓の上に眠っていると言われる。
●上本(かんもと)家(旧石橋家)住宅主屋(町指定文化財)(千代田町)
所在地:千代田町有間104−1
開館日:毎週水曜日午前10時〜午後4時30分
施設の特徴:江戸時代末期(約150から160年前)に建てられたと考えられ江戸時代の民家としては改造が少なく、当時の形式をよく保存している。特に、座敷の面皮の柱や長押を用いた数奇屋風の意匠は、技術的に高度な熟練を要するものである。職人の技術水準の高さが伺える。所々の柱や壁には明治4年(1871年)に起こった武一騒動の際に受けたと云われるナタや鍬の痕跡を残している。
●寺原城跡(県指定史跡)(千代田町)
所在地:千代田町寺原 西光寺裏
由来:南北朝の争乱時代に(1350〜1590)南朝側の寺原時親が余谷城主毛利親衡とこもり、北朝側の吉川実経、武田氏信等と数度にわたり戦ったと言われる。構造的には南北朝期のものを残しながら、石垣、石塁などは戦国期的要素が加わっている。
●今田城跡・今田氏館跡(県指定史跡)(千代田町)
所在地:千代田町奥今田 標高461m
由来:永享年間(1429〜1414)に山県満政(今田氏)が築いたと言われる。頂上に立つと今田、移原、春木、壬生城、有田城、余谷城、猿喰城が一望できる。4月にはこぶしまつりが開催される。
●高峰城公園(千代田町)
所在地:壬生本町 広電壬生バス停下車10分
由来:広島県の事業主体で生活環境保全林整備事業として平成11年完成。春は桜、つつじが全山を覆い花見客が覆い。毎年4月第三日曜日には「つつじまつり」が行われる。
●猿喰城跡(県指定史跡)(千代田町)
所在地:千代田町本地別所
由来:標高796m南北朝時代(1350)に南朝方についた山県為継、壬生道忠、南方親清等が立て篭もったといわれる古戦場であると言われるが、城跡は見られず山頂部にテレビ塔が現在ある。雲海が美しい。
 
 
●天狗シデ(国指定天然記念物)(大朝町)
テングシデは突然変異によって幹や枝が屈曲したり枝がしだれたイヌシデの変種。4900平方メートル弱の指定地内に大小89本が群生。突然変異による形質を継承しながら群生している例は世界的にもめずらしく、学術的に極めて貴重。
 
●龍山(たつやま)八幡神社本殿(国重文)(大朝町)
正和2(1313)年、吉川氏が大朝本庄地頭として入封のおり、駿河国吉川村〈静岡県清水市〉から勧請した神社。 現在の本殿は、永禄元(1558)年吉川元春が再建したもの。三間社流れ造り、銅板葺き、県下では、厳島神社につぐ古い建造物といわれている。
 
●小倉山(おぐらやま)城跡(国史跡)(大朝町)
新庄盆地の北側、標高460 m、比高約80mの丘陵上に位置する山城。吉川氏四代経見が、本拠を駿河丸から新庄に移し築城したとされ、日山城に移るまでの、約170年間吉川氏の本拠となった。 
 
●日山城跡(国史跡)
新庄盆地の南を画する日野山(標高705m、比高300m)に築かれ、陰陽を結ぶ交通の要所と山麓の盆地一体を押さえる位置にあり、要害に立地した中世末期の典型的な大規模山城。吉川元春入城以来、三男広家が居城を出雲国月山富田城に移すまでの約40年間、吉川氏の本拠として使用された。
 
●八栄(やさか)神社の大ヒノキ(県天然記念物)(大朝町)
参道左右にある大小2本のヒノキで、大きいヒノキは胸高周囲6.15m、樹高約25mで県下第2位の巨木。 ニ株は共に支根の発達が著しく大小の根が露出している。
 
●枝宮八幡神社本殿(県重文)(大朝町) 
当社は古くから「三輪庄大麻三荘鎮守枝宮」とあがめられた。吉川氏の大朝下向以前からの神社とみられる。
 
●大アベマキ(県天然記念物)(大朝町)
アベマキは、今日では、乱伐のため大木は極めて少ないが、この大アベマキは、枝下が高い良材であるにもかかわらず伐採をまぬがれており、今まで知られているものの中でも巨木に属する。根回り周囲3.15m、目通り幹回り2.6m、樹高約30m。
 
●吉川元春館跡(国史跡指定)(豊平町)
豊平町海応寺。吉川元春が天文19年(1550)日山城に入城したときに築いたといわれ、館は東西約120m、南北約80mの規模をしています。 現在は正面に巨石による高さ3mの石垣があり当時の壮大さを想像させています。 館跡後方の丘には、吉川元春・元長親子の墓(国史跡指定)があります。
●熊野新宮神社の大杉(県天然記念物)(豊平町)
豊平町志路原。胸高幹囲8m、樹高約36mの巨木で樹齢はおよそ1000年と推定されます
●鉄のふるさと公園(豊平町)
豊平町阿坂。豊平町では、中世において豊富な砂鉄を原料とした製鉄が行われていました。このふるさと公園は、発掘調査の結果や古文書などを参考にして製鉄炉や炭窯、ふいご等を復元整備したものです。
●大蔵神社の大銀杏(県指定天然記念物)(筒賀村)
山県郡筒賀村本郷
推定樹齢は1100年をこえ、高さ49m、周囲8.2mで萌芽期の新緑と晩秋の紅葉が美しい。
●大瀛和上の墓(筒賀村)
山県郡筒賀村市
真宗本願寺史上最大の法論といわれる三業帰命説を主張する新義派の学林とそれを不正義とする古義派の中心人物大瀛和上との間で論争された。文化3年(1806)江戸で寺社奉行所より大瀛和上の願生帰命説が正論と認められ教義を守った人である。
●坂原神楽(県指定無形文化財)(筒賀村)
山県郡筒賀村坂原
公開日−不定期
神楽は収穫を神に感謝する芸地地方の成長的な御土芸能で、秋祭りには夜を徹して絢爛豪華に舞われる。
 
 
● 大歳舞(戸河内町)
芸北地方は神楽舞の盛んな所として知られ、石見神楽の流れをくむものが殆んどですが、この「大歳舞」は、大歳神社(上本郷)に伝承される神楽で、別名「昼神楽」と称して昼間奉納される伊勢神楽系の特殊な存在である。歌詞・歌曲・太鼓の打ち方・舞い方は、他の神楽とは異なった独特の舞で、舞楽形式の古い儀式舞です。
●三段峡 (国指定 特別名勝 昭和28年11月14日指定)
三段峡は、中国山脈に源を発する太田川源流、標高750メートルの八幡高原から、高度差400メートルの柴木まで,12キロを蛇行しながら下る雄大な峡谷である。この峡谷は中国隆起基準平原上に刻まれた典型的なV字谷であり,深入山,恐羅漢山,十方山など1000m級の山々は,その残丘と考えられる。 上流には高さ31mの三つ滝,中流には高さ24.5mの三段滝などがあるほか、滝、淵,断層,節理などの地学的諸現象が多く見られ,巨大ないとなみをみることができる。また,両岸から峯にかけて発達した植落は,よく往古の姿を遺しており、長い歳月を経て形成された中国山脈の天然林の見本として,その価値は高く,唯一の遺物的存在である。植物の宝庫である三段峡は,過去を物語る生きた植物歴史書といっても過言ではなかろう。
●押ヶ垰断層帯 (国指定 天然記念物 昭和40年7月1日指定)
押ヶ垰断層帯は,日本で初めてこの種の天然記念物として指定を受けた,学術的価値の高い断層帯である。 断層とは,地殻にストレスが働くと,破壊が起きて地震が発生して現れる地表のずれのことをいう。この断層運動によってできた特殊な丘陵(断層丘陵)をケルンバットといい,断層線に沿ってできるくぼ地(断層鞍部)をケルンコルという。押ヶ垰の断層帯は,世界にもまれな並走地塊群の集合地域とみなされる西中国山地脊両部の地殻変動史を物語る貴重な天然記念物で,学術上重要な文化財である。
●黒韋威胴丸 (県指定 重要文化財 昭和58年11月7日指定)
一ノ宮大歳神社蔵。本胴丸の調査によれば,厳島神社の胴丸,大山祇神社の胴丸など類例があり,中国地方,瀬戸内沿海地方の神社に伝来し地方色を濃厚に示す遺例。また類似する特徴を持つことで,安芸国山県郡の土豪的武士栗栖氏の寄進と推定されている。
●太刀 無銘 青江 (県指定 重要文化財 平成5年2月25日指定)
一ノ宮大歳神社蔵。本刀の姿から南北朝時代の作であることが,また地刃の出来,鑢目から青江一派の作であることが鑑定される。この太刀は長寸で大鋒身巾広く腰反り深く踏張りがつくという豪壮な雄姿は南北朝時代上期のものである。本刀は奉納用に作られたものではなく合戦に用いられたものであることは物打に刃こぼれがあることによって知られる。
●梶ノ木の大スギ (県指定 天然記念物 平成5年2月25日指定)
梶ノ木集落の最高所に小さな森のように見える杉の古木がそびえている。2本のスギが接合地上3mで2支幹、更に5岐10支幹の株立台杉型の県内最大の巨樹である。平成3年の台風で7支幹が倒れ,銅板で被覆され、東側の3支幹のみ生存している。 根回り周囲は地上30センチ高のところで12.7m,見通り幹囲は10.2mで,かつて10本の支幹を支えていた台部分は見事。 樹齢は約400年といわれている。
●洗川の谷渡り台杉 (県指定 天然記念物 昭和62年12月21日指定)
洗川の谷渡り台杉は倒れた杉が谷の向こう側に達し、その梢頭部から発生した枝が地中に根をおろして成木になっている大変珍しい例であるばかりでなく、元木上に並ぶ4本の幹は元木の根元に近いものから梢端の方に向かって順次小さくなっているのに、梢端で根を下ろした幹の樹勢は旺盛である事実,すなわち水分も養分も元木を逆流しないことを示す極めて貴重な例でもある。
●願福寺薬師堂 (県指定 重要文化財 平成3年12月12日指定)
真應山願福寺は、曹洞宗の流れをくむ禅寺で、大同元年(八○六)の創建と伝えられているが定かでない。現在の薬師堂の建立年代については明確な資料はないが、正徳五年(一七一五)、及び寛政八年(一七九六)に修理をしたことが、古文書に記され、様式上、十七世紀後期の建立と考えられる。また、平成六年の大規模改修にともなう解体の際、隅木蓋裏に「亨保八年」と推察できる墨書が発見され、現在の姿になったのは亨保八年(一七二三)頃と推定されている。 小堂ながら方三間で後方一間通りを仏壇とし、丸柱と角柱を巧みに混用するなど形式に拘束されない自由な手法が用いられている。また、垂木に緩い湾曲が見られるなど、江戸時代、この地方の建築物に多く見られる特徴をよく表している。江戸時代に多く存在したこのような小堂は、ほとんど現存しておらず、極めて貴重である。 本尊は薬師如来像、向かって右に日光菩薩、左に月光菩薩、脇立に不動明王、毘沙門天を又両側の棚に十二神将が六体づつ安置されている。
●上殿囃子田 (町指定 無形民俗文化財 平成元年3月10日指定)
戸河内町上殿に上殿田楽保存会の前身「中央田楽団」が創設されたのは大正2年のことといわれる。その後戦時下に入る前までは各地で盛んに上演され,競演大会においても数々の優秀な成績をおさめている。 昭和45年現在の上殿田楽保存会を発足し、地域をあげて伝統文化の継承に努めている。現在、16種類の手合わせに、約20曲目の田植歌によって、道中ばやし、苗取り、さんばいの神迎え、神送りまで構成して演技することができる。 曲調も6調子、8調子、合の調子、苗取りの調子などがある。特に古くからの伝統そのままの揺歌が伝承されていることは大変貴重なことである。
●実際寺の開山塔 (町指定 有形文化財 平成4年1月27日指定)
この墓塔は実際寺を開山した雪舟嘉猷禅師の墓である。雪舟嘉猷禅師は、NHKの「北条時宗」に出てくる謝国明が建てた博多の大寺、承天寺の住職をつとめ、さらに京都五山の一つ有名な東福寺(藤原氏が建てた寺)の第31代の住職をつとめた高僧。今から650年前頃、栗栖氏の招きで戸河内の土居に来て、実際寺を開き、禅宗の深い教えや京都の高い文化を太田地方にもたらした。実際寺の開山塔は無縫塔と呼ばれる形式で、広島県内には数基しかなく、その中でも最も精巧で優美といわれています。当時これほどの技術者は地元にはいないため、京都から技術者をよんで製作したものと推測されます。
●円光寺の山門 (町指定 有形文化財 平成4年1月27日指定)
安楽山円光寺は、延喜17年(1737)真言宗として開基され、文亀3年(1503)臨済宗に改宗したと伝えられる。現在の本堂は大正11年(1921)に柴木西善寺から移築されたものである。 山門は、元文2年(1737)の建立であることが棟札によって明らかである。この山門は四脚門で両袖門がつき、縣魚(けんぎょ)・蟇股(かえるまた)など細部には鎌倉時代の優美な手法が見られるが、全体としては簡素で美しい。建立当時は切り茅葺の屋根であったが、明治末に現在のような瓦葺に改築された。
●円光寺の弥陀三尊仏 (町指定 有形文化財 平成4年1月27日指定)
 安楽山円光寺は、延喜17年(1737)真言宗として開基されたといわれ、実際寺雪舟嘉猷禅師の隠居寺といいついたえられている。 本尊の阿弥陀如来像は,像高85センチ、踏み分け連座、光背の形状、各部の特徴から考えて、室町時代中期の作であると考えられる。脇侍は右に観音菩薩、左に勢至菩薩。 いずれも同一時期に作製されている。山県郡西部においては貴重な仏像であり、三尊形式である点は珍しい。三像ともこの地方では傑出した仏像である。
●平見谷大歳神社の社叢 (町指定 有形文化財 平成7年7月6日指定)
平見谷大歳神社の社叢の巨樹群は、この神社やこの神社を祀る集落の歴史の古さと、集落の人々の自然に対する愛情を端的に表している。 巨樹群の中でも、最大の胸高幹囲5.42m高さ34mのスギは、県内でも有数の巨木の内に入る。これを筆頭に胸高幹囲5〜2m、高さ30〜18mのスギが群生している。
●猪山大歳神社の社叢 (町指定 有形文化財 平成7年7月6日指定)
近年の伐採によって、巨樹群は自然林よりもむしろ社叢でみることが多い。猪山大歳神社の社叢は、スギ、モミを中心とする樹勢の旺盛な巨樹群である。またこの巨樹林は境内の建物近くに巨樹が密生するという非常に珍しい景観を示している。巨樹群中最大のものは、胸高幹囲4.2m 樹高30mのスギで、境内には胸高幹囲2.6m以上の樹木が15本もあり、この土地がこの社叢にたつ樹種の樹木の生育に適していることがわかる。
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