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甲山町を中心とする世羅郡の東半一帯は、鎌倉時代以来高野山領大田荘であった。
今高野山龍華寺は、大田庄経営の中心寺院として建立され、観音堂、御影堂等が設けられ、
高野・丹生明神も勧請され、十二院が一山をなしていた。
現在は、福智院、安楽院と龍華寺の一部が残り、本尊十一面観音二躯(国重文)を始め創建以来
の遺品が少なくない。
備後大田荘(おおたのしょう)は、平安時代に在地の豪族・橘氏によって開発された荘園と推定されています。その後、
平清盛の子である平重衝の領地となり、重衝はさらに大田荘を拡大発展させようとして、永万2年(1166年)には当時絶大な
権力の後白河院に寄進しました。寿永4年(1185年)には平氏が滅亡し、院はその永代供養料として文治2年(1186年)大田荘を
紀州高野山根本大塔へ寄進しました。こうして以後270年間にわたり、大田荘は高野山領として営まれることになるのです。
上記のような歴史的背景を持つ大田荘について、より深く知りたい場合は、大田庄歴史館にお越しください。
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| 写真提供;橋本写真館 |